小学校のときからずっと疑問に思っていた、そして恐怖の対象だった
自分一人で考えるのは恐ろしすぎるテーマにそっと触れる本
本書の主旨とはちょっと外れたところで心に響いた一節
「何かを解明しようと懸命に努力している姿を、学者らしさと呼ぶんじゃないのか? - 世の中のニーズに応えて、人々が知りたがっていることを明らかにするのが、学者の使命じゃないか。研究の自由というものがあるんだし、世の中に恥じることをしてる訳じゃないんだから、やりたいことをやればいい。」
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一番上の文は、学者としてのあるべき姿を端的に表していると思う。
自らが解明しようとする対象を、決して自分のエゴで決めるのではなく、社会背景を洞察することでそれを特定する。
学者と研究者はほぼ同義らしいので、この考え方は研究者にも当てはまるものだ。
問題意識を無理矢理ひねり出すのではなく、今社会に必要なものは何なのか?という素朴な疑問から研究がスタートするべきなのではないかと考えさせられた。
そういった意味でも、修士論文は強引そのものだった。研究の背景を中立性を持って分析し直すことが必要だと実感する。
もう一節
「思い通りにならない」という状態こそが、この物質世界が持つ最高の価値であるということ。「思い通りにならない人生」をいかに正しく苦悩しながら生き、普段は思い通りにならないからこそ時折出会うことが出来る「願いがかなうという喜び」を、いかに正しく味わって感謝するかということ
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思い通りにならないことに対する耐性がものすごく低いと痛感したのはここ数ヶ月のこと。今まで自分の周りで思い通りにならないことが少なかったのか、そういう状況に直面したときの対応の仕方が分からずに苦慮することが多い。
思い通りにならないことがあるとすぐに攻撃の対象を見つけ(ほとんどの場合その矛先は自分に向く)、それでもそれを物理的に攻撃することをためらい悶々とした期間に突入する。
この問題については(他の人にとっては問題でもないのかもしれないが)、解決の方法は「なし」と見た。
「世の中に、どうしようもないこと(いくら自分の強い思いがあっても、それが思いの通りにならないこと)はたくさんある」と言ったある人のことを思い出す。
そのときは「そんなことない。それ以上に強く願ったり、思いきった行動に出れば絶対に何とかなるはず」と勝手に思っていたが、人間が種々の問題を片っ端から解決していけたら…
全てが思い通りのまま、願いが叶ったときの喜びを得ることが出来ず、それこそ人間らしさが失われてしまうのではないかと思う。
思い通りにならない現実を直視し、怒りもせず、ただ受容することが
別の価値観を生み出すきっかけになるのだと
ほんをよんでおもいました
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