2008年11月10日

いま、みんなに伝えたいこと


- 人間的であるということは、「自分はほかの人とは違う人間になる」「自分は何かをやってみせる」と考えることだ。人間はそれぞれ全部違うのだから。自分はどんな人間なのか、どう生きたいのか。「私は誰?これがなりたい自分なのか?」日々自分に問い直し、ごまかさないこと。 -

仕事をしている間でも自分はこうして考えられているだろうか?日々のタスクに埋もれて考える間もない、というのは、考える方が面倒だからあえて考えないことにしている とも読める。

いつも仕事をする前には、タスクを見直す前に
「自分がなりたい自分になるために今からこれをする」と一言唱えたい
posted by kanejun at 22:09| 滋賀 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月09日

思春期病棟の少女たち



- 精神が健康だと(これがどういう意味にしろ)一番嬉しいのは、自分のことを考える時間がずっと少なくてすむことだ -

思春期の少年、少女達が自分のことを考えないことなどあるだろうか 自分達のことを、悩みがなく、精神が健康であると胸を張って答えるだろうか

これとゆとりとは少し違う問題だが、自分ももう少し他人を想像できる心の豊かさを持ちたいと思った
posted by kanejun at 17:47| 滋賀 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

絶対に「自分の非」を認めない人たち

適切な距離について考えさせられた



- ある冬の日、二匹のヤマアラシが寒さに震えていた。お互いの体をくっつけあって暖をとろうとしたところ、接近しすぎ、棘で相手を刺してしまった。
痛いので離れる。しかし、離れすぎると、今度は寒さに耐えられなくなる。そこで再び体を寄せ合ったところ、また棘で刺してしまった。また離れた。
そんなことを繰り返しているうちに、二匹はやっと怪我もせず、お互いに暖の取れる適切な距離を見つけ出すことができた -

ツカズ ハナレズ

人間関係の極意は、痛みを感じたり、死ぬほど苦しんだり、失敗を重ねて得たもの
点と点がないとその間に距離は生まれないので
今はたくさんの点の中にいる自分はさまざまな距離に悩み、悩み

点が自身ひとつでないことにありがたささえ感じる
posted by kanejun at 22:29| 滋賀 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

好き好き大好き超愛してる。



-
「死人に会いたいと思うのがそもそも無理なんだよ」

「はぁ?だってここに連れてきてるんでしょ?」

「別人をね」

「誰」

「社民党の土井党首だよ」
-

頭の穴にドライバーを突っ込んでぐりぐりしたり
そんなことでは世界は回らない
ものの見方は時系列で変わっていくものだけど
これを変えたら自分が死ぬ!と思ったとき、それを守りたいと
ひっそりと殻の中に入る 時が経つのを待っている じーっと

今はそっとしておこう いつか自分で、または誰かがドライバーを突っ込むのを

- 人間の本音なんていくつもあるのだ。どれかひとつじゃない。人間の無意識も複数あって、それがせめぎあってるに違いない。 - 「実際やんなくても想像してみりゃいいじゃん」「なんでそんなすぐ難しいからわかんないとか言うんだよ」 -

あー他人を想像することは自分を想像することの何万倍も難しい
でも想像はやめられない
今んとこ止められない
posted by kanejun at 22:20| 滋賀 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

生きがいの本質

本を読む機会が増えたのは、前も日記で書いた通り

小学校のときからずっと疑問に思っていた、そして恐怖の対象だった
自分一人で考えるのは恐ろしすぎるテーマにそっと触れる本

本書の主旨とはちょっと外れたところで心に響いた一節

「何かを解明しようと懸命に努力している姿を、学者らしさと呼ぶんじゃないのか? - 世の中のニーズに応えて、人々が知りたがっていることを明らかにするのが、学者の使命じゃないか。研究の自由というものがあるんだし、世の中に恥じることをしてる訳じゃないんだから、やりたいことをやればいい。」



一番上の文は、学者としてのあるべき姿を端的に表していると思う。
自らが解明しようとする対象を、決して自分のエゴで決めるのではなく、社会背景を洞察することでそれを特定する。
学者と研究者はほぼ同義らしいので、この考え方は研究者にも当てはまるものだ。
問題意識を無理矢理ひねり出すのではなく、今社会に必要なものは何なのか?という素朴な疑問から研究がスタートするべきなのではないかと考えさせられた。
そういった意味でも、修士論文は強引そのものだった。研究の背景を中立性を持って分析し直すことが必要だと実感する。

もう一節

「思い通りにならない」という状態こそが、この物質世界が持つ最高の価値であるということ。「思い通りにならない人生」をいかに正しく苦悩しながら生き、普段は思い通りにならないからこそ時折出会うことが出来る「願いがかなうという喜び」を、いかに正しく味わって感謝するかということ



思い通りにならないことに対する耐性がものすごく低いと痛感したのはここ数ヶ月のこと。今まで自分の周りで思い通りにならないことが少なかったのか、そういう状況に直面したときの対応の仕方が分からずに苦慮することが多い。
思い通りにならないことがあるとすぐに攻撃の対象を見つけ(ほとんどの場合その矛先は自分に向く)、それでもそれを物理的に攻撃することをためらい悶々とした期間に突入する。
この問題については(他の人にとっては問題でもないのかもしれないが)、解決の方法は「なし」と見た。

「世の中に、どうしようもないこと(いくら自分の強い思いがあっても、それが思いの通りにならないこと)はたくさんある」と言ったある人のことを思い出す。

そのときは「そんなことない。それ以上に強く願ったり、思いきった行動に出れば絶対に何とかなるはず」と勝手に思っていたが、人間が種々の問題を片っ端から解決していけたら…
全てが思い通りのまま、願いが叶ったときの喜びを得ることが出来ず、それこそ人間らしさが失われてしまうのではないかと思う。
思い通りにならない現実を直視し、怒りもせず、ただ受容することが
別の価値観を生み出すきっかけになるのだと



ほんをよんでおもいました
posted by kanejun at 08:25| 岐阜 ☁| Comment(395) | TrackBack(0) | book | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大学院で製作したインタフェース"Mountain Guitar"について
この本の中で書いています
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